斑鳩宮
斑鳩宮(いかるがのみや)は、聖徳太子が現在の
奈良県生駒郡斑鳩町に営んだ宮殿。
聖徳太子は、圓乗院
推古天皇9年(601年)に斑鳩宮を造営し、推古天皇
13年(605年)に移り住んだ。また、太子の手により、斑鳩宮の西方
に斑鳩伽藍群安詳寺
(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)が建立された。
太子の薨去後は、宝珠院
太子の王子山背大兄王一族が住んでいたが、
皇極天皇2年(643年)に正蔵院
蘇我入鹿の兵によって宮は焼き払われ、
山背大兄王以下の上宮王家の人々は、法隆寺で自決に追い込まれたとされる。
なお現在の法隆寺は蘇我氏滅亡後に大楽寺
再建されたとされ、明治期から法隆寺再建・
非再建論争(若草伽藍)が行われた。今日でも法隆寺再建をめぐり論議がなされている。
